ストリート日本画の考察
こちらでは、「絡まり合う記憶」セクションに出品されている以下の作品について、彼の親しい友人でありドキュメンタリー制作者でもあったリンダ・ハッテンドーフとマサ・ヨシカワ、ならびに本展担当キュレーターの金子牧が共同で執筆した解説文をお読みいただけます。これらは展覧会図録より転載したもので、図録にはミリキタニの作品に関するさらに多くのエッセイや論考が収められています。
Jimmy Tsutomu Mirikitani, untitled (white dragon protecting Mirikitani and friends), after 2002, Collection of Linda Hattendorf, Taos, New Mexico, EL2024.179
untitled (white dragon protecting Mirikitani and friends)
ハッテンドーフ
ジミーの数あるコラージュ作品のひとつで、大きな龍のドローイングと組み合わされています。ジミーが龍を描くことは、そう多くはありませんでした。龍は、9・11同時多発テロ事件後のニューヨークのイメージ群の上空を飛んでいます。
2001年にジミーの家族を探し始めるなかで、私はジャニス・ミリキタニ(1941–2021年)と連絡が取れました。彼女はサンフランシスコの桂冠詩人であり、夫のセシル・ウィリアムズ牧師とともに、グライド教会で奇しくもホームレスシェルターを運営していました。調べてみると、ジャニスはジミーの従兄弟の娘であると分かりましたが、二人はそれまで一度も会ったことはありませんでした。彼女はジミーに、自身の詩集を何冊か送ってくれました。その中には、ここにコラージュされている『We, The Dangerous(私たちは危険な人)』も含まれています。収容所をテーマにした彼女の詩をジミーに読み聞かせると、彼はこう言いました。「彼女はわしとまったく同じだ。」
このコラージュには、ジミーが路上生活を終えた後に親しくなったアーティストたちのイメージも、数多く含まれています。2002年に彼が入居した高齢者施設のアクティビティ・ディレクターでありアーティストでもあったクラウディア・テラー、そして私の友人でアーティストのジェシカ・ベイカー。右側には、自分の住み処を得てから初めて制作した大作《ゴールデン・イーグル》に取り組むジミーの姿が写っています。また、2002年、私たちが初めて参加したトゥーリーレイク巡礼の後に撮影された、私の家族と一緒に写るジミーの写真も含まれています。このコラージュをよく見ると、ジミーの血縁の家族、そして私たちが共に過ごした日々のなかで、彼の周囲に育まれていったアーティストや支援者たちのコミュニティとしての家族が見えてきます。ある意味そうした「家族」を扱った作品だと言えるでしょう。
ヨシカワ
ジミーが龍を描くとき、それは必ず「白い」龍でなければなりませんでした。ずっと昔、彼がまだ若かった頃には、伝統的な手法で龍を描いていたこともあります(トゥーリーレイク、あるいはシーブルック時代の写真が見つかっています)。ジミーによれば、白い龍は邪気を祓うのだそうです。ジミーから何度も聞いた話があります。
「知り合いが連れてきた男は、『兄がワールド・トレード・センターにある会社で働いている』と言っていた。その人に、『これを持っていきなさい。この龍が悪いものから守ってくれる』と言って龍の絵を描いてやった。彼はとても喜んで、それを持って日本の実家に帰省した。わずか二日後の9月11日、ワールド・トレード・センターで彼のお兄さんは焼け死んだ。弟は助かったんだ。お兄さんが本当に気の毒でならなかった。低い階の人たちの多くは、なんとか逃げてここまで来ることができたのに。」
2009年、私の母が癌にかかったとジミーに話すと、彼は「白い」龍を描き、私に手渡して言いました。「次に日本へ帰るとき、これを持っていってお母さんの部屋に飾りなさい。そうすればよくなるよ。」(ジミーは2007年に来日した際、東京にある私の実家に滞在していたので、私の母と面識がありました。)
この作品のなかで、ジミーはジャクソン・ポロック、国吉康雄、岡田謙三という三人のアーティストの名前を書き添えて、それぞれに「500万」と記しています。ジミーによれば、みんな「500万ドルの価値がある」アーティストでした。ジミーは彼らと実際に会い、付き合いがあったとも語っていました。そして自分自身も同じレベルの「500万ドルのアーティスト」だとみなしていました。そう信じていたんです。
はてさて、何十年か後には、ジミーの作品が本当に500万ドルの価値をもつようになっているかもしれません。将来何がどうなるかなんて分かりません。
キュレーターによるコメント
ミリキタニは「路上の時代」、そしてその後もコラージュ作品を制作し続けましたが、2002年に高齢者施設へ移り住んで以降、その表現はより複雑で重層的なものとなっていきました。この時期、彼は自分自身の姿をはじめ、ハッテンドーフ、ヨシカワ、再会を果たした家族、そして親しいアーティスト仲間たちのイメージを取り込んだ、緻密なコラージュを制作するようになります。そこには、プライベートに撮影された写真もあれば、『ミリキタニの猫』公開後にメディアに登場したイメージも含まれています。
本作には、ミリキタニ自身の作品や他者の作品のイメージも組み込まれており、複数の著名な日本画作品、ジャクソン・ポロックの写真、そして「500万ドルのニューヨークのアーティスト」三人の名前と、そこに並べられた彼自身の名が見られます。これらの要素を重ね合わせることで、このコラージュは、日本にルーツを持つミリキタニの美術の系譜と、ニューヨークのアーティストとしての自己認識とを、同時に強調しているようです。
そうした家族、友人、アーティスト、様々なアート作品のイメージと共に、破壊、政治的混乱、軍事力を示す写真も数多く挿入されています。これらはいずれも、彼の人生を決定的に形づくってきた出来事でした。空襲後の東京やツールレイク強制収容所を写したモノクロ写真は、現代の東京の都市風景や、ニューヨークのフリーダム・タワーの姿と並置されています。なかでもとりわけ印象的で、かつ繰り返し現れるモチーフが戦闘機のイメージです。ミリキタニはそこに赤い丸を描き加えることで、それらを「日本の」戦闘機へと変容させています。
親しい人々の楽しげな肖像、アメリカと日本の美術作品、そして戦争、ナショナリズム、軍国主義を想起させるイメージが、明確な秩序をもたないまま併置されることで、本作は既存の物語の枠組みに回収されることを拒んでいます。その代わりに、ミリキタニの人生と政治・歴史との複雑な関係性、過去と現在の不可分性、そして平和と戦争のあいだの実は非常に不確かな境界線を、このコラージュは浮かび上がらせています。
そして、ミリキタニの人生と日米間の複雑な歴史が折り重なるイメージの上空には、一匹の白い龍が舞っています。その意味もまた明確に定められることなく、見る者一人ひとりの思索に委ねられているようです。