ジミー・ツトム・ミリキタニの生涯を地図でたどる
カリフォルニア州サクラメントに生まれ、日本・広島で育ち、北カリフォルニアのトゥーリーレイクで強制収容を経験し、戦後はニューヨークで活動したジミー・ツトム・ミリキタニ。その人生と芸術は、太平洋をまたぐ移動や、移住と再定住、強制収容、無国籍状態、路上生活といった経験によって形づくられてきました。
このインタラクティブ・マップでは、鑑賞者がアメリカと日本を横断しながら、ミリキタニの人生と創作の軌跡をたどることができます。
日本
ミリキタニは幼少期に両親とともに広島へ移り、1940年にアメリカへ戻るまで、子ども時代から青年期を日本で過ごしました。自らをしばしば「サクラメント生まれ」、「広島縣人」と表現していたミリキタニは、生涯にわたって日本への強い愛着を保ち続けました。
日本はまた、彼の芸術の原点でもあり、川合玉堂や木村武山に師事して日本画を学んだ場所でもあります。彼の多くの作品は、こうした日本画の系譜をたどりながら、若き日の記憶や日本の風景を描き出しています。また原爆投下後の広島の壊滅的な被害を悼み、記憶する作品も少なくありません。
西海岸
西海岸は、ミリキタニの人生における重要な出来事が重なる場所です。彼はしばしばサクラメントを自身の出生地として語り、そこに揺るぎない帰属意識を見出していました。また、第二次世界大戦中には、北カリフォルニアに位置するトゥーリーレイク強制収容所に収容され、この経験は後年の作品において中心的な主題の一つとなります。さらに、シアトルやサンフランシスコ湾岸地域には親族が暮らしており、人生のさまざまな時期にそれらの土地を訪れました。これらの場所は、出自や移動、強制収容の体験が、ミリキタニの制作やアイデンティティ形成に長く影響を与えてきたことを物語っています。
東海岸
強制収容を解かれた後、ミリキタニは1950年代初頭にニューヨークへと渡りました。以後、2012年に亡くなるまで、ニューヨークは彼の生活と創作の中心であり続けました。1980年代後半から2001年まで続いた「sidewalk time」と後にミリキタニが命名した路上生活の時期には、ロウアー・マンハッタンの歩道や公園を、自身のスタジオ、ギャラリー、人々と出会う場へと変えていきました。こうした経験や制作スタイルを通して、ミリキタニはニューヨークという都市が持つ価値観と共同体的な精神を、自らの作品に積極的に取り込んでいたのです。