トゥーリーレイク―記憶の風景
日系人の強制収容は、ミリキタニの作品において繰り返し取り上げられるテーマです。1941年12月の真珠湾攻撃後、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は大統領令9066号に署名し、国家安全保障上の脅威とみなされた人々を西海岸から「転住センター」と呼ばれた収容所へ強制的に移送することを承認しました。この命令により、約12万人の日系人が、戦時転住局の管理する10か所の強制収容所に収容されました。
そのなかでも、ミリキタニは特に過酷な経験を重ねました。1942年5月、彼は北カリフォルニアのトゥーリーレイクに収容されます。1943年には、成人したすべての収容者に課された「忠誠度質問票」の質問27(米軍の戦闘任務への参加意思を問う項目)に対し、「いいえ」と回答しました。同年、トゥーリーレイク収容所が隔離施設に再指定された後、法的助言を一切受けることもないまま、ミリキタニは他の約5,500人と共に、アメリカ市民権の放棄を強要されました。収容所が1946年に閉鎖されると、彼はテキサス州クリスタルシティに移送され、その後ニュージャージー州シーブルックファームに移り、1947年まで「relaxed internment(緩和された抑留)」と呼ばれた状態のまま労働を続けました。
ミリキタニの作品の多くは、トゥーリーレイクのバラックが長く連なり、遠くにキャッスルロック山とシャスタ山がそびえる構図が、繰り返し描かれています。これらの作品は、強制収容が彼の人生に深い影響を及ぼしたことを浮かび上がらせます。同時に、モチーフやテキスト、素材は個々の作品において微妙に変化しており、トゥーリーレイク
に対する視点の移り変わりや、重層的で変化しつづける記憶のあり方を、静かに示唆しています。
Jimmy Tsutomu Mirikitani, untitled (Tule Lake: artist, rabbit, woman and child), circa 2001, Collection of Linda Hattendorf, Taos, New Mexico, EL2024.155
ビデオによる紹介
このビデオは、リンダ・ハッテンドーフ監督によるドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』には収録されなかった映像をもとに、彼女自身が編集したもので、ジミー・ツトム・ミリキタニの人生と作品における重要な瞬間を捉えています。
戦時中に収容されていた場所に戻ったミリキタニが、風景をスケッチし、花を摘み、自分の作品を紹介しながら、記憶や喪失について思いを巡らせる様子が収められています。
untitled (Tule Lake: artist, rabbit, woman and child)
untitled (Tule Lake: artist, rabbit, woman and child), Jimmy Tsutomu Mirikitani
untitled (Tule Lake: artist, rabbit, woman and child) label
本作は、ミリキタニが2002年以前に描いたトゥーリーレイクのイメージを代表する作品の一つといえます。画面上部にはキャッスルロック山と赤い太陽が配され、その前方には金網の門と柵で隔てられた長いバラックの列が続いています。キャッスルロック山の彼方には、円錐形の姿がしばしば富士山にもたとえられるシャスタ山がそびえ立っています。色調や雰囲気は異なるものの、この構図は、1940年代にミリキタニが日本画として描いたトゥーリーレイクの風景を思い起こさせます。
前景には、うさぎ、セージブラッシュ(ヤマヨモギ)、小さく描かれた二人の人物、そして赤いベレー帽をかぶり写生するミリキタニ自身の姿が描かれています。ボールペンによる鋭いハッチングの線、鮮やかな赤のアクセント、バラックの列からキャッスルロック山へと導く急峻な遠近法が相まって、収容所の風景は、荒涼とした佇まいのうちに、強い緊張感を宿したものとして描き出されています。さらに、東京で日本画の巨匠に師事したことや、広島出身であることを示す言葉を自画像とともに画面に組み込むことで、ミリキタニは、この記憶の確かさと、それを支える自身の芸術的力量の双方を示しています。
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untitled (Tule Lake: “End of War and Return”)
untitled (Tule Lake: “End of War and Return”), Jimmy Tsutomu Mirikitani
untitled (Tule Lake: “End of War and Return”) label
2002年、ミリキタニは「トゥーリーレイク巡礼の旅」に参加しました。トゥーリーレイクの訪問は、およそ50年ぶりだったと考えられます。この旅の後、彼は人生の重要な節目を刻み込むかのように、トゥーリーレイクを主題とする作品を数多く制作しました。それらの多くは、2002年以前の構図やモチーフを踏襲していますが、この訪問を経て、いくつかの変化が見られるようになります。たとえば、収容所の門は、開かれた姿や壊れた状態で描かれるようになります。また、本作に見られるように、コラージュの構成要素も次第に複雑さを増していきます。
キャッスルロック山を中心に据えた本作では、ドローイングとコラージュに加え、さまざまな書き込みが組み合わされています。画面右上部には、不動明王、社殿、日本刀がコラージュされ、左上部には、真珠湾に関するキャプションとともに、海軍元帥・山本五十六の写真と、不鮮明な戦艦(おそらく戦艦アリゾナ)のイメージが重ねられています。太陽のモチーフの横には、「神風特攻隊員たちの精神」を称える日本語の言葉が記され、画面下部には、収容者たちの写真、「War and Return(戦争終結と帰還)」という記述、監視塔の写真、そして追悼の祈りの言葉が配されています。
帝国主義の象徴、愛国主義的なスローガン、そして正義と平和への祈りが一つの画面に共存するこのトゥーリーレイクの作品は、暴力の歴史と人々の主体的な経験が複雑に重なり合う記憶の様相を示しながら、追悼行為そのものについて鑑賞者に省察を促します。
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untitled (Tule Lake: Castle Rock Mountain, barracks, cross)
untitled (Tule Lake: Castle Rock Mountain, barracks, cross), Jimmy Tsutomu Mirikitani
untitled (Tule Lake: artist, rabbit, woman and child) label
色鉛筆による彩色と、ミリキタニ特有の手書きの言葉が添えられたこのドローイングには、北カリフォルニアのトゥーリーレイク強制収容所を見下ろすキャッスルロック山が描かれています。溶岩層によって形成されたキャッスルロックは、トゥーリーレイクを象徴する存在です。第二次世界大戦中、トゥーリーレイクには1万8,000人以上の日系アメリカ人が収容されました。尾根の頂上にある十字架は、収容中に亡くなった人々を追悼するため、キリスト教徒の収容者によって建てられた記念碑です。画面下部に広がるバラックの列は、収容所の荒涼とした地形を想起させます。
裏面のコラージュには、トゥーリーレイクのダンスバンドの姿が写されており、その中には、揃いのアロハシャツを着たコヤサコ兄弟の姿も見られます。なかでもスエナリ・コヤサコ(1920年生まれ)は、収容所の郵便局員として働きながら、兄弟たちとともに「パラダイス・メロディアーズ」というバンドで演奏していました。このバンドは、収容所の管理者だけでなく、収容されていた人々にとっても、束の間の楽しみをもたらしたといわれています。ミュージシャンたちは、ミリキタニと同様、厳しく制限された環境のなかでも創造性と尊厳を保ち、音楽を通して「柵の向こう側」にある世界とのつながりを保っていました。
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考察
こちらでは、「トゥーリーレイク―記憶の風景」セクションに出品されている次の二作品について、彼の親しい友人でありドキュメンタリー制作者でもあったリンダ・ハッテンドーフとマサ・ヨシカワ、ならびに本展担当キュレーターの金子牧が共同で執筆した解説文をお読みいただけます。これらは展覧会図録より転載したもので、図録にはミリキタニの作品に関するさらに多くのエッセイや論考が収められています。
untitled (Tule Lake), Jimmy Tsutomu Mirikitani
External Resources
untitled (Tule Lake collage), Jimmy Tsutomu Mirikitani
External Resources
詳しく見る:トーゥリー・レイク
ロジャー・シモムラが、第二次世界大戦中に強制収容所に収容された日系アメリカ人の実体験について語る様子を収めた、リンダ・ハッテンドーフによるビデオ映像です。

重なり合うグラウンド・ゼロ
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